自分哲学を持つ人はかっこいい
僕は自分哲学を持つ人が好きです。
「鋼の錬金術師」で言えばゾルフ.J.キンブリーみたいな人物ですかね。
彼は、大量殺人鬼ではありますが、自分の信念を持っているという点では、非常にかっこいいです。
では、なぜ自分哲学を持つ人はかっこいいのでしょうか。
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周りに流されない
まず、自分哲学を持つ人は、何も考えずに周りに流されることはありません。
流れることはありますが、流されません。
なぜなら、常に自分の頭で物事を考えているため、自分が納得しないと動かないのです。
人は一貫性を持つ人に好印象を受けます。
自分哲学に従って動く人は、大きくぶれることが少ないので、人はそれに一貫性を感じ、好印象を受けます。
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逆境を生き抜く強さがある
自分哲学を持つ人は、逆境に慣れています。
世間の価値観と自分の価値観が異なることは往々にして起こります。
その中で、自分哲学を貫く人はかなりの頻度で批判を受け取ることになります。
しかし、それであっさり考えを変えることがありません。
自分哲学を守ることを何よりも大切にしているからです。
安全地帯から批判を投げかける人よりも、投げられて尚も自分哲学を貫く人の方が強いのは、当然のことです。
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他人の哲学も認められる
自分哲学を持っている人は、自分の哲学を大事にするのと同様に、他人の哲学も大切にします。
それが、その人にとって如何に大事か知っているためです。
架空の人物なので、説得力はないかもしれませんが、先ほど例に出した、キンブリーも、他人の哲学を大事にしていました。
多様性を認めれる人は器が大きいので、かっこいいと思われます。
如何でしょうか。
日本ではルールを守ることが非常に重視されます。
ルールを守れない人は悪いという一般認識はあまりに強力で、自分哲学を持つことが難しいですが、僕は、自分哲学を持つことをお勧めします。
なぜなら、今のような変化の激しい時代では、世間の価値観は簡単に変わるためです。
簡単に変わる世間の価値観に自分を合わせていると、すぐに自分を見失います。
自分の中に、自分哲学という軸を作ることで、変化の大きい今の時代を生き抜く術を身につけられます。
ぜひ、自分哲学を作ってかっこいい人になってください。
「安定な職業」を求める大学生って多いけど、ちゃんと資本主義を理解してる?
安定を求める大学生は多いです。
僕の身の回りにも、安定が一番と言っている人が多くて驚きます。
まぁこれだけ世界が目まぐるしく変化していれば、不安になって、安定を望むのも分かります。
ですが、正直、その考えは危ないです。
なぜか。
それは、資本主義と、安定な職業なんていうのは、基本的に相容れないからです。
解説していきます。
そもそも、資本主義とは、「競走」が前提です。
強い者(結果を出したもの)が生き残り、弱いもの(結果を残せなかったもの)は滅ぶ。
自然の摂理です。
では、そのような資本主義の社会で、企業が求めるのは、どのような人材でしょうか。
はい。結果を出してくれる人ですよね。
企業だって自社の存亡をかけて戦っているのですから、結果が出せない人を雇う余裕はありません。
つまり、安定なんて生ぬるいことを考えている人は、置いていかれます。
安定とは、現状維持です。
周りが死にものぐるいで競走しているのに、現状維持を求めていたら、置いていかれるのは当然です。
スポーツでも同じですよね。
このため、
大学生が安定な職業を望んでいる状況は、非常に危ないと思います。
「競走を勝ち抜かなければ、生き残れない」
これが、資本主義の基本であり、今の時代を生き抜くキーワードだと思います。
安定を望んている人は、危機感を持ってください。
さらに深く資本主義について知りたい人はこちら↓
学歴で自分を表現するようになったら終わりだと思う
ネット上で、自分の学歴を自慢している人は多い。
そういう人は他人の学歴と自分の学歴を比較して、優越感に浸っている。
ネット上ではそんな人が多いから、学歴論争は一向に無くならない。
「俺の学歴はこんなに良い。お前の学歴ショボいよな。」
みたいな。
ですが。
別に学歴って「その人の本質」ではないですよね。
ただ、学校が用意した試験に受かったかどうか。
それだけのものです。
その学校に何か貢献してるならまだしも、
ただ通ってるってだけで自慢されても、、、って感じなんですよね。
「俺のトーチャン社長やねん!俺すごいやろ!」
って言ってる子供と同じじゃないですか?
学歴自慢って。
凄いのは父親であって、その子供ではない。
自分の本質とは関係ないもので自慢している。
そうではない。
大切なのは、その人がどういう人間であるのか。
何をしているのか。
そこが一番大切なところ。
自分が何かを成し遂げてる人は、学歴自慢をしません。
言い方は悪いですが、自分に誇りが持てない人ほど、学歴など、自分の本質とは関係ないものに執着する。
学歴ではなく、自分自身にに誇りを持つことが出来れば、無意味な学歴自慢など無くなるのではないでしようか。
僕が自己啓発本を読んで実感した確かなメリット
「自己啓発本」と聞くと、なにか危ない本、もしくは意識高い系の痛い本と思って毛嫌いする人が多いように思えます。
ですが、それなりに自己啓発本を読んできた僕からすると、そのように食わず嫌いするのはもったいないなと思います。
なぜか。
それは、
自己啓発本を読むことで、他人の長所が分かるようになるから。です。
突然ですが、カラーバス効果という心理学用語をご存知ですか?
これは、例えば朝の占いで、ラッキーカラーが青だと言われたら、無意識に青を探してしまう現象のことです。
あるものを意識していると、そのものに反応しやすくなる、とも言えます。
これと同じことが自己啓発本を読んだ時にも起こります。
自己啓発本の中に書いてある、素晴らしい人間性を頭の片隅に置いておくことで、実際にそういった素晴らしい人間性を持った人に出会えた時に、すぐに気づくことができます。
それに気づけば、その人に対して尊敬の念を抱きますし、何よりも自分が謙虚になります。
「自分はまだまだ未熟だ。この人から見習おう」と思うわけですね。
さらに上の段階に行けば、どんな人であっても、その人なりの長所があることが分かります。
つまり、すべての人を尊敬できて、また、すべての人に対して謙虚になれます。
これは、宮本武蔵の「我以外皆我師」という言葉に通じます。
周りの人の長所をしっかりと理解できて、そこから学ぼうとすれば、永遠に成長することができます。
常に成長できる。
これが僕が実感した、自己啓発本を読むメリットです。
もちろん、読むだけではただの「知識」です。
実践を通じて「知恵」にしましょう。
↓
http://blog.hatena.ne.jp/tk0714210/tk0714210.hatenablog.jp/edit?entry=10328749687248719723
借りものの知識に価値はない。
僕達は、常に「誰かの言葉」で、他人と会話しています。
どういうことか?
僕達は生まれた時から言葉が使えた訳ではありません。
周りの大人達の言葉を聞いて、僕達は言葉が使えるようになりました。
僕達ひとりひとりが言葉を生み出した訳ではありません。
まぁ、これが弊害を生むことにもなるのですが。
今回は、その弊害とも言える事について書こうと思います。
さて、この記事は、「知識自体に価値はない」という題名ですが、
ここで言う「知識」とは、
自分の実体験が伴っていない、誰かの言葉です。
逆に、自分の実体験が伴った誰かの言葉は、
「知恵」と呼ばれます。
僕が大事だと思うのはもちろん知恵です。
知識そのものに価値はなくて、知識に実体験を掛け合せることで、知識は知恵になり、
価値が生まれます。
知識自体は世の中に溢れかえっています。
今の時代に大切なのは、ただの知識ではなくて、自分の実体験をベースにした知識、つまり知恵です。
知識を蓄えるだけじゃなくて、実際に行動して、知識を知恵に昇華させることが大事です。
知識だけだったら誰でも持っている時代ですから。
考え続けないと、ただのロボットになっちゃうよ
言われたことをこなすだけの人はロボットと変わりません。
日本の学校では、与えられたもの、与えられた指示を、どれだけ高い精度で出来るのかが重視されています。
期末試験、部活動が代表例です。
期末試験では、与えられた問題の中で、どれだけ高い点数を取れるか。
部活動では、先生からの指示を、どれだけ高い精度で出来るか。
先生の意見と違う事を言うと怒られて、矯正させられてしまいます。
そこでは、自分の頭を使う必要がありません。
というか、頭を使わない方がいい。
言うことを聞いていれば、角が立たないから。
だからですかね。
自分の頭で考えるのを辞める人が多い。
学校教育の弊害といえると思いますが、
上の人の言うことをきちんと聞いとけば大丈夫。という考えの「ロボット型人間」は結構な数存在すると思います。
ですが。
そのような人間に価値があるのでしょうか。
かなりきつい言葉になってしまいました。
もちろん、道徳的な観点から見れば、価値のない人間などいません。
ですが、社会を生きていくに当たって、「ロボット型人間」の価値はどれくらいあるんでしょう。
ほとんどゼロではないですかね。
科学技術が発達して、ホンモノのロボットが普及し始めることもありますし、
そもそも、「ロボット型人間」は、大量に存在します。
代替可能ということです。
至るところに存在する物に、高い価値は付きません。
資本主義の基本です。
ですから、「ロボット型人間」にならないことが、これからの時代は重要になってくると思います。
ではどうすればいいか。
常に自分の頭を使って考え続けることです。
- この勉強は本当にしなくてはならないものなのか。
- 逆にしなければいけないものは何なのか。
- この指示はこの状況では適切か。
- 適切でないなら、何をすべきか。
などなど。
とにかく、考え続けること。
重要です。
ちなみに僕は、学校のいつ使うかもわからない勉強よりも、
お金など、現実世界で必ず必要になることを勉強すべきだと思っています。
十人十色って忘れられがちだよね
人はひとりひとり違う。
この言葉ほど当たり前のように思われて、しかし忘れられがちな言葉は無いのではないでしょうか。
僕達は気づけばいつも、僕達自身の価値観で他人を評価しています。
「この人、声デケーな。もう少しボリューム下げろよ。」
とか、
「なぜ、あいつはこんなこともできないのか」
とか。
これらは、「人はひとりひとり違う」ということを忘れた時の言葉です。
人は誰でも、自分は普通だと思っています。
だから、自分とは違う人間を批判してしまうんです。
そうではなくて、違いを認める。
「違い」とは、「個性」です。
その人の個性を見極めて、認めてあげる。
そうすれば、誰も窮屈な思いをせずに済むのではないでしょうか。
「十人十色」。忘れないでください。
以上、窮屈な思いをしている、僕からでした。