タッカーの一人道

僕、タッカーが思ったことをそのまま書き連ねるブログです。

毎日が退屈だと感じている人へ

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毎日を漠然と生きている人は多いと思います。

特にやりたいこともなく、身の回りで面白いことが起きないか待っている。

僕の周りにも結構います。

その人たちに共通しているのは、常に受け身で楽しんでいることが挙げられます。

楽しさを作り出すのではなく、作られた楽しさをただ受け取っている。

 

飲み会を主宰するのではなく、飲み会に誘われるのを待っている。

お金を払って、ボーリングやカラオケを利用する。

 

これらは作られた楽しさを受け取っている例です。

決して上の例がダメなわけではありません。

 

ですが、作られた楽しさを受け取るだけの人間になってしまうと、日々を退屈に感じやすい。

なぜなら、受け取るだけの楽しみは、誰でもいつかは飽きるから。

(テレビ、YOUTUBE、漫画、ゲームetc...)

 

楽しみを作り出すという意識がない人は、受け取っていた楽しさに飽きてしまうと、そのあとがありません。

 

「なんか面白いことないかなー?」

 

これは楽しみを受け取っているだけの人の口癖です。

 

 

そうなると日々を退屈に感じるのも当たり前のことになります。

ではどうするか。

自分で楽しさを作り出すのです。

 

知り合いを集めて飲み会を主宰する

カラオケコンテストの開催

楽器を演奏してみる

YOUTUBEに動画を投稿してみる

 

などなど。

 

毎日自分が楽しさを作り出すんだ、という意識を持っておけば、退屈することは無いと思います。

もし退屈を感じるのであれば、それは楽しみを作り出せていないということです。

 

 

 

楽しさを作り出すのは難しいことでしょうか。

僕はそうは思いません。

子供のころを思い返してください。

何もない公園で友達と何時間も遊んでいませんでしたか。

自分たちで遊びを決めて、楽しんでいましたよね。

 

あれが楽しみを作り出すという原型だと思います。

 

僕たちは昔、自分で楽しみを作り出していた。

もう一度、初心に帰って楽しみを作り出すのはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

小さい時から怒られ続けた僕が、逆に説教のコツを教える。

ぼくは小さい時から、先生や部活の顧問などに怒られまくっていました。

人一倍怒られやすい子供でした。

何故かは分かりません。

何故かはわかりませんが、他の子供なら10分くらいで終わる説教が僕の時には30分くらい続くんです。

部活のサッカーの試合で、僕が左サイドにいて、味方が右サイドでボールを取られた時も何故か僕が怒られました。

美術の時間に7.8人が立ち歩いている状態でも僕だけが怒られました。

こんな理不尽な怒られ方はレアケースですが。笑

 

ダメですね。

怒られたエピソードが次から次へと思い出される。笑

 

僕は決してグレていたわけではありません。

それどころか、大人しい、内気な子供でした。

それなのに何故あんなにも怒られたのか。

全くわかりません。

しかし、そのおかげで、うまい説教と下手な説教がしっかりと身をもって分かるようになりました。

それを解説していこうと思います。

 

 

 

下手な説教をする人の特徴

 

まず、下手な説教をする人は基本的に、自己満足のために怒ります。

誰かを正そうと思って怒るのではなく、誰かを正そうとしている自分に酔っているのです。

自分よりも立場が下の人に向かって、その人自身の理論を押し付けます。

また、自分に酔っているだけなので、下の人の意見は聞きません。たとえ意見を聞いたとしても頭ごなしに批判しておしまいです。

そうなると、僕がよく怒られていた理由が分かります。

内気で反論してこない子供は格好の的だった訳ですね。

まぁ、そんなことは置いといて。

 

で、ここが重要なのですが、

怒られている人は上のことを簡単に察します。

自分の意見を聞いてもらえず、一方的に理論を押し付けられると、話を聞こうという気にはなりません。

次第に心を閉ざしていきます。

こうして、自分に酔って話しまくる上の人と、話を聞いているふりだけしている下の人の図形が完成します。

 

こうなればただの時間の無駄ですよね。

 

 

説教がうまい人の特徴

 

説教がうまい人は真逆です。

まず第一に下の人のことを考えてくれます。

そして話を聞いてくれます。

下の人がたとえどんな意見を言ったとしても、完全に否定することはせず、ある一定の理解を示してくれます。

その上で、あくまで自分の考えとして意見を言ってくれるのです。

これこそ、説教がうまい人の特徴です。

 

 

 

 

偉い人が言いました。

「説教とは、ただの価値観の押しつけだ」と。

実に的を射ていると思います。

「自分がどんなに偉い人であっても、あくまで説教というのは、価値観の押し付けに過ぎない。」

説教をする時は、このことをしっかりと胸に刻んで欲しいです。

 

 

 

 

今の時代に生まれてよかった

本当に今の時代に生まれてよかった。

心からそう思います。

 

戦争をしていた時代のように命の危険をリアルに感じることもないですし、家柄によって一生の生き方を決められているわけでもありません。

命を脅かされることがほとんどなく、生き方も自分で決めることができる。

当たり前のように見えて実はすごいことですよね。

 

僕が特に良いと感じることはやっぱり生き方を自分で選べるということです。

 

町中のいたるところで、さまざまな価値観が飛び交っている今、「幸せの定義」っていうのがものすごくあいまいになっていると思います。

一昔前なら、大企業に入って、一軒家を買って、子供に恵まれて、、、という幸せのロールモデルがありましたが、いまではそういうのはあまり聞きません。

そういうのは時代遅れになったのでしょう。

 

今は、個人が「自分なりの幸せ」を自分でつかみ取りに行く時代。

「世間一般の幸せ」を漠然と追い求める必要はない。

自分が、心からやりたいことをやること。

それが「自分なりの幸せ」をつかみ取りに行くことだと思います。

 

当然ですが、「自分なりの幸せ」ロールモデルというのは存在しません。

世界に何十億の人がいても、自分と同じ人はいないので。

だから、「自分なりの幸せ」を追い求めることは、決して楽なことではありません。

学校の教育のように、「こうしとけばいいんでしょ?」というものがないですから。

誰も教えてはくれない。

誰も他人の幸せの条件とかわからないですから。

 

 

いろいろ試行錯誤していく必要があります。

たくさん頭を使う必要があります。

まずは、いろんなことに挑戦してみる。

そして「やっぱりこれじゃない。」ということをたくさん経験する。

そしたらいつか、本当に大事なものが見えてくると思います。

 

時には周りから批判を受けることも多いと思います。

「自分なりの幸せ」を追い求めると、時として、周りの期待を裏切る結果になることもあります。

他人が期待する自分と、自分が期待する自分の間に乖離が生まれることは多い。

その時、どうするか。

人によるとは思いますが、僕なら、自分が本当にやりたいことを選びます。

自分の意思を殺して「他人に都合のいい自分」にはなりたくない。

 

今はまだ僕も試行錯誤の段階ですが、いつか必ず、「自分なりの幸せ」を掴みます。

 

ちなみに、↓の本には、「自分なりの幸せ」を追い求めるための本質的なことが書いてあっておススメです。

 

 

「頭のいい人」はシンプルに生きる―「快適生活」の方法

「頭のいい人」はシンプルに生きる―「快適生活」の方法

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本人は経営能力が低い。ならどうするか。

 

20代で差がつく50の勉強法

20代で差がつく50の勉強法

 

 今日、↑の本を読みました。

15年前の著作ですが。笑

読んでいる中で、心に残ったフレーズがあったので、紹介したいと思います。

本の学校教育は、スタッフを育てることが中心です。

(略)

考え方、ビジョン、哲学、ポリシーというものが会社には存在しなくなってしまいました。

だから経営者が育ちません。

 

目からウロコが落ちました。

たしかに、「働く」という言葉を聞けば、大半の人が会社に勤めることを想像するのではないか、と思います。

一種のステレオタイプですね。

 

最近、経営破綻したシャープの経営陣が変わり、見事黒字に戻りましたよね。

このことから、日本人は社員として働くぶんには優秀だけど、経営する能力は高くないって言うことが出来るのではないでしょうか。

 

これは結構怖いことではないでしょうか。

経営陣が無能だと、どれだけ素晴らしい社員がいても、会社は潰れてしまいます。

 

僕達はどうすればいいのでしょう。

 

 

 

むしろ、これをチャンスと捉えれることは出来ないでしょうか。

経営が上手な日本人が少ないということは、競争が激しくない、ブルーオーシャンということです。

 

経営能力のある社員というのは、希少価値であるはずなので、必ず重宝されます。

間違いなく、英語能力よりは。

 

 

経営者の目線にたって働く、ということを意識していきたいですね。

 

 

 

主体的に生きることの難しさ

最近、自己啓発本として、世界的に有名な、七つの習慣を買いました。

 

 

7つの習慣-成功には原則があった!

7つの習慣-成功には原則があった!

  • 作者: スティーブン・R.コヴィー,Stephen R. Covey,ジェームススキナー,川西茂
  • 出版社/メーカー: キングベアー出版
  • 発売日: 1996/12/25
  • メディア: 単行本
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 この本は導入部分から、小手先のテクニックに頼った自己啓発本を否定しています。

人間高めるには、まず何よりも土台が大事である。小手先のテクニックだけではダメだと言うことです。

 

これは、リンゴの木に例えるとわかりやすいかも知れません。

素晴らしい人を、たくさんの良質なリンゴを実らせた木だとすると、どうしても人目につきやすいのはリンゴです。

小手先のテクニックに頼った自己啓発本というのは、このリンゴに着目し、このリンゴの素晴らしさを伝えます。

それを読んだ人は、なんとかしてそのリンゴを自分の木に実らせようと努力します。

でも、リンゴがリンゴの芽に実るでしょうか。

まずはしっかりと根を下ろして、幹を太くする。その後必然とリンゴが実るのです。

 

だからまずは土台作りが先決、ということです。

 

 

この考えにはすごく共感できたため、この本に書かれている習慣を実践して、土台作りに専念しようと思いました。

しかし。。。

 

 

第1の習慣、「主体的に生きる」の難易度が高すぎる

 

初っ端から挫折しかけました。

主体的に生きるとは、自分の人生は自分ですべて責任を持つということです。自分がすべての責任を持つため、現状に不満があったとしても他の誰のせいでもありません。

「あの上司のせいで俺は……」とか、

「イケメンに産まれていれば……」とか、よく聞きますが、これらは全て主体性のない人の言葉ということになります。

主体的に生きている人に、愚痴は無縁です。

 

もし、バイトが辛いのならバイト先を愚痴るのではなく、改善に努めるか、さっさと辞める。

これが、主体性のある人間の行動です。

 

僕達は皆、自分が良いと思う道を選ぶ権利があります。

選ぶ権利がある以上、自分で責任を取るのは当然のことです。

 

しかし、当然のことといっても難しいですよね。

僕もかなり責任転嫁してしまう人間なので、この第一の習慣を読んだ時は衝撃を受けました。

人のせいにするのってすごく楽なんです。

自分を悲劇の主人公に見立てて、愚痴っとけばいいのですから。

でも、それでは現状は何も変わらないんですよね。結局、自分が変わって現状を変えるしかないんです。

 

これができるようになれば、ワンランク上の人間になれるはずです。

 

 

 

 

 

 

 

 

頭を使わずに働くということ

 

最近、飲食店でバイトを始めました。

まだ新人なので、言われたことをしっかりやりきることした出来ません。

言われたことは必ずやる。同じミスはしない。優先順位をハッキリさせて、周囲の状況を確認しながら作業する。

って言うことをやっているんですが、そこで思ったこと。

 

 

こういう仕事ってほとんど頭使わなくても出来るんだ

 

 

例えば皿洗いにしても、オーダーを取るにしても、正直頭を使うことはほとんどないんですよね。

別のことを考えながらでも出来てしまう。

 

僕はビジネス本をよく読むので、仕事って頭をフル回転させて行うものだと思っていました。

そしてそのぶん、充実感が得られる。

 

そういった先入観があったため、頭をあまり使わずに仕事をするのにすごく違和感がありました。

 

ただ体を動かす。

自分の時間を切り売りして、お金に変えている。

そういった感覚が全く抜けません。

 

怖い。非常に怖い。

この感覚に慣れてしまうと、ただのロボットになってしまいそう。

言われた通り体を動かすだけ。

 

アルバイトだけでは仕事を知ることにはならないのではないか、と思いました。

 

 

英語って話せる必要あるん?

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「日本はどんどんグローバル化していくので、英語が話せない人は生き残れない。」

みたいな言葉が出回って何年経ったでしょうか。

 

グローバル化していることは事実ですし、日本にもたくさんの外国人が訪れていますよね。

 

僕も歩いてたら外国人に道を聞かれることがよくありますし、日本語話せる人なんて少数です。

なのでこちらが向こうに合わせて、英語を話す必要があるんですよね。

正直な話、「ここ日本なんだから、俺が合わせるのっておかしくね?」

とは思うんですが、言っても始まらない。

必死に学校で習ったジャパニーズイングリッシュを披露するわけですが、そこで気づいたこと。

 

 

中学レベルの英単語知ってたら、充分通じるわ

 

 

 

中学から高校まで、英語をしっかり勉強してきて、一応地元じゃ名の知れた大学に進学した僕ですが、スピーキングは習っていないので出来ません。

しかし、中学生に毛が生えた程度のスピーキングでも、必要な情報を伝えることが出来ました。

いや、実のところ中学レベルにも到達してません。

Go,across,train,convenience store

を連呼してました。笑

 

でも、それでしっかり通じたんです。

僕の家に留学生が来たこともあったのですが、その時も同じような感じで意思疎通が出来ました。

 

僕の経験から言うと、日常会話には中学レベル英語で十分です。

というか、日本に住んでいる限り、英語を使う機会なんてほとんど無いので、

英語を使う時って"非"日常だと思うんですよね。

そんな"非"日常のために英語勉強するのも馬鹿らしいなって思います。

 

英会話教室の広告とかでは、英語が話せないとマズイ!みたいなことが書かれていますが、僕の経験からすると、そんなことは無かった。

 

英語をうまく話せる必要なんてありません。