「調子が悪い時の実力」が自分の本当の実力ですよ。
試合やテストなどで、自分の成績が良くなかった時に、
「調子が悪かったせいだ。」
という人がいます。
確かに、調子の良い悪いというのは存在しますが、その人は根本的に思い違いをしています。
調子の悪い時の実力が、本当の自分の実力なのです。
「調子が悪かったことが原因で成績が悪かった」
と言う人は、自分が最も調子が良い時の実力を、本当の実力だと思っています。
だから、少しでも調子が悪いと調子のせいにするのです。
しかし、本番で最も調子の良い時の実力が出せることなんて滅多にありません。
よくて8割くらいしか出せないものです。
悪い時には3割くらいにもなります。
あなたが本調子の3割しか実力が出せなかった時。
その時の実力が、あなたの本当の実力です。
だから、くれぐれも成績が悪かった時に調子のせいにしないでください。
調子のせいにしたところで、何かが変わるわけでもありませんし。
何のために稼ぐのですか?それが分からないと、幸せにはなれないと思う。
あなたは何のためにお金を稼いでいますか?その問いにきちんと答えられないと、
どれだけお金を稼いでも幸せになることはないと思います。
「お金で幸せは買えない」
多くの人がそう言います。
実際、それは正しいのでしょう。
お金持ちが全員幸せと感じていることはないでしょうし、世界最貧国のバングラデシュに住んでいながら、幸せを感じている人もいます。
しかし、「お金で幸せは買えない」と言っているにも関わらず、日本人の多くはより多くのお金を手にしようとして働きます。
つまり、無意識では「お金があれば幸せになれる」と思っているのです。
そのため、働きすぎで身体を壊す人もいます。
この矛盾が人々を惑わせるのです。
お金と幸せは、別次元のものであるとは知っているにも関わらず、頑張ってお金を稼ぐ。
漠然とお金があれば幸せになれると思っている。
つまり、
「お金で幸せは買えない」ということを、知ってはいるけど理解はしていないのです。
だからこそ、「何のために稼ぐのか」と言う問いを持つことが重要になります。
盲目的に、お金があれば幸せになれると思っているようでは危険です。
お金で出来ることは限られています。
お金はただの道具です。
幸せを感じるためには、お金以外の何かが必要です。
それが何なのかは人によって違うでしょう。
その何かを見つけることが、お金を稼ぐことよりも重要だと思います。
さて、あなたは何のためにお金を稼ぎますか?
参考文献
「なぜ日本人はこんなに働いているのにお金持ちになれないのか?」
なぜ日本人は、こんなに働いているのにお金持ちになれないのか? _21世紀のつながり資本論
- 作者: 渡邉賢太郎
- 出版社/メーカー: いろは出版
- 発売日: 2015/02/06
- メディア: 単行本
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アドバイスを求められた時。これだけは守って欲しいアドバイスのマナー
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友達から、または後輩から。
アドバイスを求められた時、しっかりとしたアドバイスは出来ますか?
実はアドバイスをする側には、守らなくてはならない二つのマナーがあります。
これを守らないと、面倒くさい人だと思われ、今後アドバイスを求められることはありません。
では、そのマナーとは何か。
それは、
「上から目線にならないこと」
「価値観を押し付けないこと」
この二つです。
この二つが守れないと、1発で「面倒くさい人」に認定されます。
上から目線にならないこと
アドバイスをする時って、どうしてもアドバイスをする側が上に立っているような感覚になると思います。
そのため、優越感を感じて上から目線になる人が多い。
しかし、上から目線の人のアドバイスがしっかり聞かれることはほとんどありません。
アドバイスするとは言っても、人として対等な立場であることを意識しておく必要があります。
たとえ相手が後輩であっても。
兄弟であっても。
価値観を押し付けないこと
さっきの「上から目線にならないこと」から派生して、ついつい自分の価値観を押し付けてしまう人がいます。
相手には相手の価値観があります。
それを尊重せず、自分の価値観が正しいと信じ込んで押し付けると、これも一発アウトになります。
次からアドバイスを求められることはないでしょう。
相手の意見は最大限尊重すること。
自分の意見が絶対だとは思わないほうがいいです。
まとめ
如何でしたでしょうか。
文字にしてみると一見簡単そうに思えますが、この二つができている人はほとんどいません。
アドバイスする側にもマナーがある
このことを胸に刻んでおいて欲しいです。
ありがとうございました。
「学費を払っているんだから、授業はキチンを受けないと損」 は間違いだ。
「学費を払っている親に悪いから授業はつまらなくてもキチンと聞く。」と言っている人がいます。
彼らはなんとか払った学費分を取り返そうとして、頑張って授業を聞きます。
たとえそれが、自分の全く興味のない分野で、どうしようもなくつまらないものであっても。
しかし、彼らは損をしないように授業を聞いていることで、かえって損をしています。
それはなぜでしょう。
突然ですが、「サンクコスト」という言葉を知っていますか?
「サンクコスト」とは、「もう支払ってしまって、どう頑張っても返ってこない費用」のことです。
たとえば、テレビCMをみて面白そうだと感じて見に行った映画がひどくつまらなくても、その映画のチケット代は返してくれません。途中で席を立っても、チケット代は戻ってこない「サンクコスト」なのです。
また、食べ放題のレストランの料金も同様です。一度食べ始めたら、いくら食べても、逆に食べなくても料金は同じです。「サンクコスト(支払い済みの費用)」です。
カイジ「命より重い!」お金の話 より
「サンクコスト」はどう頑張っても返ってこない費用のこと。
「サンクコストを支払ってしまった以上、そのあとの判断にそのサンクコストのことは考えない」
というのが、経済学の鉄則です。
上の映画の例でいえば、
「せっかく金を出したんだから、最後まで見なければ損。」
と考える人は、結果的に損します。そうではなく、
「これに払った金は無駄だった。さっさと外に出て、空いた時間で別のことをやろう。」
と考える人のほうが結果として得をするのです。
無駄なことに費やす時間を、有意義な時間に換えたからです。
お金の損失は両者とも同じですが、時間の使い方という側面から見たとき、
前者は自分が無駄だと思うことに時間を使い、
後者は自分が有意義だと感じることに時間を使っています。
どちらが正しい判断をしたかは自明ですよね。
学費に関しても同じことが言えます。
払ってしまった以上、払った費用のことは考えるべきではないのです。
元を取ろうとして、無駄だと感じている授業を聞くより、自分が有意義だと感じたことに時間を使ったほうがいい。
ちなみに、僕の高校時代の体験談なのですが、
学費を払っているからと全部の授業をしっかり聞いている人と、
無駄な授業は無駄だと割り切ってほかの勉強していた人では、
後者のほうが総じていい成績をとっていました。
以上。「学費を払っているんだから、授業はきちんと受けないと損」という主張を、経済学の立場から反論してみました。
ありがとうございました。
オタクと呼ばれる人を素直に尊敬してます
世間では、悪いイメージを持たれることの多いオタクという人種。
酷い時には社会不適合者、犯罪予備軍などとイメージされることもあります。
まぁこのイメージは、テレビが作ったものなので、迂闊に信じるのは愚かというものですが。
とにかく、オタクがいい目で見られることは現在ほとんど無いのではないでしょうか。
ですが、僕はオタクという人種を尊敬してます。
なぜか。
それは、
「自分の人生を捧げれる程の情熱を持てる物」を持っているからです。
時間を忘れて熱中できるものがある。
人になんと言われようと譲れないものがある。
これって相当すごい事ですよね。
僕はまだ人生を賭けることが出来る程のものはありません。
だからこそ、オタクと呼ばれる人を尊敬します。
今の日本では、「オタク」よりも「優等生」が賞賛されています。
優等生とは、なんでも無難にこなせる人。
全てにおいて80点をとる人です。
広く浅い人。とも言えるかもしれません。
それはそれで素晴らしいのですが、
僕は、他が振るわなくても一つだけでも100点とる人の方が自分の武器を持っている感じがして好きです。
オタクになりたい。
「学問は就活か」神戸女学院大学の広告が核心を突きすぎている件。
上の画像は今日、電車の中で見た神戸女学院大学の広告です。
これを見た時リアルに衝撃を受けました。笑
書いてあることの一つ一つが自分の胸にとひこんできて、目が離せませんでした。
と、いうのも、書いてある言葉がどれも僕が日ごろ考えている事だからです。
「学問は就活か」
「幸福は測れるのか」
「進路に正解なんてあるのか」
これらはいつも僕が考えていることです。
正直な話、上のような言葉を大学が言うとは思っていませんでした。
一部の意識高い人の言葉だと思ってたんですよね。
だから、この広告を見た時、僕はすごく嬉しくなりました。
「明らかに時代は変わっている」と。
今までだったら、いい大学を出ていい会社に入ることが正解だと言われてましたし、
結婚して、マイホームを持つことが幸福の目安になっていたりもしました。
それが今変わっている。
上記の言葉を、個人だけではなく、大学が言うようになった。
嬉しいですよね。
特に「学問は就活か」
これは本当に考えるべき言葉だと思います。
僕が大学に通っていて、本当に感じるのは、研究室に入ったり、卒業するために必要なのは、成績であって、学問の中身ではない。
ってことです。
極端な話、成績さえあれば学問の本質を理解してなくても卒業出来てしまうんですよね。
成績って小手先のテクニックで、どうにかなるものも割とありますし。
学生の目標が、「学問の本質を理解することではなくて、いい成績をとること」になるのは、残念な気がします。
以上を踏まえて、これから考えていくべきことは、
「自分にとっての幸福は何か」
「正解のない進路をどう選ぶのか」
「何のために学問をするのか」
ってことなんじゃないかな。と思います。
多分、これは一生ついてまわる問題です。
状況によって変わるものなので。
常に考え続けたいですね。
人に嫌われても、自分には嫌われるな!
自己嫌悪は辛い。
自分を嫌いになってしまったら生きていけない。
僕は昔、劣等感の塊でした。
常に他人のいいところと自分の悪いところを比べて、自己嫌悪に陥っていました。
欠点を認めようとしなかった。
個性を無視して完璧な存在になろうとしていました。
その理想とはかけ離れた自分を見ていると、ますます自分が嫌いになりました。
「自分に嫌われる自分」の辛さは相当なものです。
長年経験したからこそ分かります。
あの辛さはもう味わいたくない。
もう、自分を嫌いになりたくない。
だから、僕は自分を嫌いになるようなことはしません。
正しくても間違っていても、自分を、より好きになれる選択肢を選びます。
他人から嫌われることは辛いことですが、自分から嫌われる方がもっと辛い。
それなら、他人から嫌われても、自分のことは好きになれる道を選ぶ。
「お天道様に顔向けできるよう生きていく」って、多分そういう事だと思います。
自分が『カッコわりィ』と思うことをオレはやらねー
坊屋 春道
クローズより。いい言葉ですよね。