「学費を払っているんだから、授業はキチンを受けないと損」 は間違いだ。
「学費を払っている親に悪いから授業はつまらなくてもキチンと聞く。」と言っている人がいます。
彼らはなんとか払った学費分を取り返そうとして、頑張って授業を聞きます。
たとえそれが、自分の全く興味のない分野で、どうしようもなくつまらないものであっても。
しかし、彼らは損をしないように授業を聞いていることで、かえって損をしています。
それはなぜでしょう。
突然ですが、「サンクコスト」という言葉を知っていますか?
「サンクコスト」とは、「もう支払ってしまって、どう頑張っても返ってこない費用」のことです。
たとえば、テレビCMをみて面白そうだと感じて見に行った映画がひどくつまらなくても、その映画のチケット代は返してくれません。途中で席を立っても、チケット代は戻ってこない「サンクコスト」なのです。
また、食べ放題のレストランの料金も同様です。一度食べ始めたら、いくら食べても、逆に食べなくても料金は同じです。「サンクコスト(支払い済みの費用)」です。
カイジ「命より重い!」お金の話 より
「サンクコスト」はどう頑張っても返ってこない費用のこと。
「サンクコストを支払ってしまった以上、そのあとの判断にそのサンクコストのことは考えない」
というのが、経済学の鉄則です。
上の映画の例でいえば、
「せっかく金を出したんだから、最後まで見なければ損。」
と考える人は、結果的に損します。そうではなく、
「これに払った金は無駄だった。さっさと外に出て、空いた時間で別のことをやろう。」
と考える人のほうが結果として得をするのです。
無駄なことに費やす時間を、有意義な時間に換えたからです。
お金の損失は両者とも同じですが、時間の使い方という側面から見たとき、
前者は自分が無駄だと思うことに時間を使い、
後者は自分が有意義だと感じることに時間を使っています。
どちらが正しい判断をしたかは自明ですよね。
学費に関しても同じことが言えます。
払ってしまった以上、払った費用のことは考えるべきではないのです。
元を取ろうとして、無駄だと感じている授業を聞くより、自分が有意義だと感じたことに時間を使ったほうがいい。
ちなみに、僕の高校時代の体験談なのですが、
学費を払っているからと全部の授業をしっかり聞いている人と、
無駄な授業は無駄だと割り切ってほかの勉強していた人では、
後者のほうが総じていい成績をとっていました。
以上。「学費を払っているんだから、授業はきちんと受けないと損」という主張を、経済学の立場から反論してみました。
ありがとうございました。
オタクと呼ばれる人を素直に尊敬してます
世間では、悪いイメージを持たれることの多いオタクという人種。
酷い時には社会不適合者、犯罪予備軍などとイメージされることもあります。
まぁこのイメージは、テレビが作ったものなので、迂闊に信じるのは愚かというものですが。
とにかく、オタクがいい目で見られることは現在ほとんど無いのではないでしょうか。
ですが、僕はオタクという人種を尊敬してます。
なぜか。
それは、
「自分の人生を捧げれる程の情熱を持てる物」を持っているからです。
時間を忘れて熱中できるものがある。
人になんと言われようと譲れないものがある。
これって相当すごい事ですよね。
僕はまだ人生を賭けることが出来る程のものはありません。
だからこそ、オタクと呼ばれる人を尊敬します。
今の日本では、「オタク」よりも「優等生」が賞賛されています。
優等生とは、なんでも無難にこなせる人。
全てにおいて80点をとる人です。
広く浅い人。とも言えるかもしれません。
それはそれで素晴らしいのですが、
僕は、他が振るわなくても一つだけでも100点とる人の方が自分の武器を持っている感じがして好きです。
オタクになりたい。
「学問は就活か」神戸女学院大学の広告が核心を突きすぎている件。
上の画像は今日、電車の中で見た神戸女学院大学の広告です。
これを見た時リアルに衝撃を受けました。笑
書いてあることの一つ一つが自分の胸にとひこんできて、目が離せませんでした。
と、いうのも、書いてある言葉がどれも僕が日ごろ考えている事だからです。
「学問は就活か」
「幸福は測れるのか」
「進路に正解なんてあるのか」
これらはいつも僕が考えていることです。
正直な話、上のような言葉を大学が言うとは思っていませんでした。
一部の意識高い人の言葉だと思ってたんですよね。
だから、この広告を見た時、僕はすごく嬉しくなりました。
「明らかに時代は変わっている」と。
今までだったら、いい大学を出ていい会社に入ることが正解だと言われてましたし、
結婚して、マイホームを持つことが幸福の目安になっていたりもしました。
それが今変わっている。
上記の言葉を、個人だけではなく、大学が言うようになった。
嬉しいですよね。
特に「学問は就活か」
これは本当に考えるべき言葉だと思います。
僕が大学に通っていて、本当に感じるのは、研究室に入ったり、卒業するために必要なのは、成績であって、学問の中身ではない。
ってことです。
極端な話、成績さえあれば学問の本質を理解してなくても卒業出来てしまうんですよね。
成績って小手先のテクニックで、どうにかなるものも割とありますし。
学生の目標が、「学問の本質を理解することではなくて、いい成績をとること」になるのは、残念な気がします。
以上を踏まえて、これから考えていくべきことは、
「自分にとっての幸福は何か」
「正解のない進路をどう選ぶのか」
「何のために学問をするのか」
ってことなんじゃないかな。と思います。
多分、これは一生ついてまわる問題です。
状況によって変わるものなので。
常に考え続けたいですね。
人に嫌われても、自分には嫌われるな!
自己嫌悪は辛い。
自分を嫌いになってしまったら生きていけない。
僕は昔、劣等感の塊でした。
常に他人のいいところと自分の悪いところを比べて、自己嫌悪に陥っていました。
欠点を認めようとしなかった。
個性を無視して完璧な存在になろうとしていました。
その理想とはかけ離れた自分を見ていると、ますます自分が嫌いになりました。
「自分に嫌われる自分」の辛さは相当なものです。
長年経験したからこそ分かります。
あの辛さはもう味わいたくない。
もう、自分を嫌いになりたくない。
だから、僕は自分を嫌いになるようなことはしません。
正しくても間違っていても、自分を、より好きになれる選択肢を選びます。
他人から嫌われることは辛いことですが、自分から嫌われる方がもっと辛い。
それなら、他人から嫌われても、自分のことは好きになれる道を選ぶ。
「お天道様に顔向けできるよう生きていく」って、多分そういう事だと思います。
自分が『カッコわりィ』と思うことをオレはやらねー
坊屋 春道
クローズより。いい言葉ですよね。
学校の勉強が何の役に立つんですか?って考えることは大事だと思う
「学校の勉強に何の意味があるんですか?」
誰でも一度は口にする疑問だと思います。
僕も何回か言ってきました。
でも結局、この質問に答えられる人ってそう多くはないんじゃないでしょうか。
昔、Twitterにこんなコピペがありました。
生徒「学校の勉強が何の役に立つんですか?」
先生「学校の勉強もできないお前は何の役に立つんだ?」
一時は「痛快な返し方だ!」ってもてはやされていましたが、これ違和感しかありませんよね。
生徒が聞いてるのは、勉強が役に立つのか。です。
先生が答えたのは、お前が役に立つのか。です。
どう考えても論点すり替わってるでしょう。
こんな答えでドヤ顔してる先生を想像するのは、なんとなく腹が立ちます。(笑)
まぁでも、こんな言葉が流行るってことは、多くの人がこの答えを持っていない証拠になるんじゃないでしょうか。
答えがない。
子供にとっては違和感がありますよね。
学校で教わることは、すべて答えがあります。
道徳なんかにも教科書があって、答えが書かれていますからね。
たぶん、「学校の勉強が何の役に立つんですか?」は、答えの用意された世界での、数少ない答えのない問いなのではないでしょうか。
だからこそ。
だからこそ、僕はこの問いを考え続けることが大事だと思います。
答えのない問いなんて無数にある。
僕がそれを強く実感したのは大学に入ってからです。
何も疑問を持たずに勉強していると、答えのない世界に入ったときに混乱します。
僕が実際そうでした。
「学校の勉強が何の役に立つんですか?」は、答えのない問いを考えるはじめの一歩です。
大人たちは、「そんなこと考えてないで、とりあえず勉強しろ。」
なんて言いますが、思考停止して勉強してるようじゃロボットと変わりません。
僕のように混乱しないために。
考え続けて自分なりの答えを出すことが重要だと思います。
どうか、考え続けてください。
ありがとうございました。
valuって時代を象徴してるよね。面白いよね。
今、valuというものが巷を騒がせていますよね。
これは、簡単に言えば株式会社のやってることを、個人ができるようになったということです。
株式を買ってもらって、お金を集める。
今までは企業しかできなかったこの資金調達が、簡単に個人にできるようになりました。
本当に面白いですよね。
僕は、valuこそが、今の時代を象徴していると思います。
どういうことか。
今までの時代は、言ってみれば集団主義だった訳です。
例えば大学、例えば会社。みたいな、
「お前はどこに所属してるのか」が重視されていたわけです。
だからこそ、いい大学、いい会社に行っているだけで賞賛された。
しかし、今は違います。
今は、「どこに所属しているか。」は、そこまで重要ではありません。
集団というものが以前のようなしっかりとした枠組みを持たなくなりました。
漠然としたものになったのです。
それに伴って、個人の問われ方も変わりました。
今問われるのは、
「お前はどんなやつだ。」
です。
個人主義の登場です。
世間の目線が集団から個人に移ったのです。
それに合わせて、今回、valuというものが現れました。
言うまでもなく、valuがやったことは、企業から個人。つまり、集団から個人への目線のシフトです。
Valuは登場するべくして登場したと言うべきでしょうか。
Valuはまだ始まったばかりです。
おそらく、今後さらに個人主義が強まるにつれて、valuのようなサービスが増えていくと思います。
今後が楽しみですね。
子供が主体性を持ちにくいのは、やっぱりお金による部分が大きいと思う
主体性とは、自分の意志・判断で行動しようとする態度。
goo辞書より
学生にとって最も主体性の障害になるものは何か。
多くの場合において、それはお金だろうと思います。
例えば進路のような、子供にとっては大事な物事も、子供ひとりで全て決めることは出来ない。
学費を出してくれるのは基本的に保護者だからです。
お金は完全に親に依存している状態。
これでは完全な主体性を持つことは難しいですよね。
大半の人は肉体的な自立があります。
そして、精神的な自立をしている人も多いです。
しかし、金銭的な自立をしている人はほとんどいません。
たとえ下宿して親元から離れていても、親からの金銭援助はあると思います。
まだ養われている存在。
お金という要素がある以上、学生が親と対等な存在になるのは難しい。
僕も今大学生ですが、金銭的なものは親に頼っています。もちろん、アルバイトをしていますが、それだけでは生きていけません。
下宿するかどうか、も、僕だけで決めることができません。
これが凄く歯がゆい。
早く金銭的に自立したいと思います。