タッカーの一人道

僕、タッカーが思ったことをそのまま書き連ねるブログです。

学校の勉強が何の役に立つんですか?って考えることは大事だと思う

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「学校の勉強に何の意味があるんですか?」

 

誰でも一度は口にする疑問だと思います。

僕も何回か言ってきました。

 

でも結局、この質問に答えられる人ってそう多くはないんじゃないでしょうか。

 

 

昔、Twitterにこんなコピペがありました。

 

生徒「学校の勉強が何の役に立つんですか?」

先生「学校の勉強もできないお前は何の役に立つんだ?」

 

一時は「痛快な返し方だ!」ってもてはやされていましたが、これ違和感しかありませんよね。

 

生徒が聞いてるのは、勉強が役に立つのか。です。

先生が答えたのは、お前が役に立つのか。です。

どう考えても論点すり替わってるでしょう。

こんな答えでドヤ顔してる先生を想像するのは、なんとなく腹が立ちます。(笑)

 

まぁでも、こんな言葉が流行るってことは、多くの人がこの答えを持っていない証拠になるんじゃないでしょうか。

 

 

 

答えがない。

子供にとっては違和感がありますよね。

学校で教わることは、すべて答えがあります。

道徳なんかにも教科書があって、答えが書かれていますからね。

 

 

たぶん、「学校の勉強が何の役に立つんですか?」は、答えの用意された世界での、数少ない答えのない問いなのではないでしょうか。

 

 

 

だからこそ。

だからこそ、僕はこの問いを考え続けることが大事だと思います。

答えのない問いなんて無数にある。

 

僕がそれを強く実感したのは大学に入ってからです。

何も疑問を持たずに勉強していると、答えのない世界に入ったときに混乱します。

僕が実際そうでした。

 

「学校の勉強が何の役に立つんですか?」は、答えのない問いを考えるはじめの一歩です。

 

大人たちは、「そんなこと考えてないで、とりあえず勉強しろ。」

なんて言いますが、思考停止して勉強してるようじゃロボットと変わりません。

 

僕のように混乱しないために。

 

考え続けて自分なりの答えを出すことが重要だと思います。

 

どうか、考え続けてください。

 

ありがとうございました。

 

 

valuって時代を象徴してるよね。面白いよね。

今、valuというものが巷を騒がせていますよね。

これは、簡単に言えば株式会社のやってることを、個人ができるようになったということです。

 

株式を買ってもらって、お金を集める。

今までは企業しかできなかったこの資金調達が、簡単に個人にできるようになりました。

 

本当に面白いですよね。

 

僕は、valuこそが、今の時代を象徴していると思います。

どういうことか。

 

 

 

今までの時代は、言ってみれば集団主義だった訳です。

例えば大学、例えば会社。みたいな、

「お前はどこに所属してるのか」が重視されていたわけです。

 

だからこそ、いい大学、いい会社に行っているだけで賞賛された。

 

 

 

しかし、今は違います。

今は、「どこに所属しているか。」は、そこまで重要ではありません。

集団というものが以前のようなしっかりとした枠組みを持たなくなりました。

漠然としたものになったのです。

 

それに伴って、個人の問われ方も変わりました。

今問われるのは、

「お前はどんなやつだ。」

です。

個人主義の登場です。

 

世間の目線が集団から個人に移ったのです。

それに合わせて、今回、valuというものが現れました。

言うまでもなく、valuがやったことは、企業から個人。つまり、集団から個人への目線のシフトです。

 

Valuは登場するべくして登場したと言うべきでしょうか。

 

Valuはまだ始まったばかりです。

おそらく、今後さらに個人主義が強まるにつれて、valuのようなサービスが増えていくと思います。

 

今後が楽しみですね。

 

 

 

 

 

 

子供が主体性を持ちにくいのは、やっぱりお金による部分が大きいと思う

主体性とは、自分の意志・判断で行動しようとする態度。

                                     goo辞書より

 

学生にとって最も主体性の障害になるものは何か。

多くの場合において、それはお金だろうと思います。

 

例えば進路のような、子供にとっては大事な物事も、子供ひとりで全て決めることは出来ない。

学費を出してくれるのは基本的に保護者だからです。

お金は完全に親に依存している状態。

 

これでは完全な主体性を持つことは難しいですよね。

 

大半の人は肉体的な自立があります。

そして、精神的な自立をしている人も多いです。

しかし、金銭的な自立をしている人はほとんどいません。

 

たとえ下宿して親元から離れていても、親からの金銭援助はあると思います。

 

まだ養われている存在。

お金という要素がある以上、学生が親と対等な存在になるのは難しい。

 

僕も今大学生ですが、金銭的なものは親に頼っています。もちろん、アルバイトをしていますが、それだけでは生きていけません。

 

下宿するかどうか、も、僕だけで決めることができません。

これが凄く歯がゆい。

 

早く金銭的に自立したいと思います。

すべての人が個性と主体性を強く持ったら、日本はもっと面白くなると思う。

 

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「個性」「主体性」

この二つは僕が日ごろから意識している人生のテーマです。

 

そして、この二つが世界をもっと面白くする要素です。

なぜ面白くすることができるのか。

解説します。

 

 

個性

一つ目は個性です。

個性とは、自分が他の誰とも違う存在であること。

唯一無二であることです。

 

そして、唯一無二であるがゆえに、他人との比較は意味を成しません。

 

「○○の友達の数は、××の友達の数よりも劣っている」

「○○は、××よりもサッカーがうまい」

この比較に意味なんてありませんよね。

サッカーと野球を比べるようなもので、それぞれに長所があり、短所があります。

 

 

 

実際、他人との比較は絶え間ない劣等感と、つかの間の優越感しか生みません。

 

自分の個性を大事にし、同じように他者の個性を大事にする。

周りと違う。ということを恥じる必要はなく、それを個性とし受け入れ、誇りに思う。

 

これを意識すれば、無理に周りに合わせようとする必要が無くなり、気楽に生きることができると思います。

 

日本人って周りと合わせようとして、苦しむ人多いですからね。

 

周りと違っていたほうが面白いじゃないですか。

 

話していて面白い人、記憶に残る人は、間違いなく自分の個性を理解している人です。

 

 

 

 

 

 

 主体性

 

これはいまさら言う必要はないと思いますが、、、

 

他人なんか気にせず自分の道は自分で作り上げる。

その道に責任を持つ。

 

これだけです。

 

ただ、難易度は高いですけどね(笑)

 

できている人は多くないと思います。

 

詳しいことは下の記事に書いてあるので、

こちらもどうぞ↓

http://blog.hatena.ne.jp/tk0714210/tk0714210.hatenablog.jp/edit?entry=10328749687240002655

 

 

 

いかがでしょうか。

 

上記のことを行う人が多くなれば、かなり面白い時代になると思います。

 

僕もそうでありたいと思います。

 

皆さんもぜひ。

 

 

 

 

 

 

 

 

理由がないと動けないやつはクソです。

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この題名は、僕が好きな漫画「東京喰種」に出てくる、旧多二福の言葉です。

 

まぁ、このキャラは色々ぶっ飛んでいるキャラなので、好き嫌いはあると思いますが。

 

ちなみに、僕は割と好きです。

 

 

「理由がないと動けないやつはクソです」

 

この言葉は、汚い言葉遣いですが、かなり共感できます。

 

 

理由がないと動けない人は、
基本受け身の考えを持っている。

 

 

例えば、「日本一周したい」と言いながら、なかなか行動を起こさない人は、日本一周するに値する理由を探しているんです。

 

こんな理由があるから、自分はこうしよう。

 

という感じ。

これってすごく受身な考え方ですよね。

叩かれると響くけど、自分からは響かない。

 

 

そうではなくて、能動的な考え方を持ってる人は、

 

やりたい→やる

 

という思考回路です。

 

理由なんか探してない。

理由なんか要らないんです。

やりたかったら、やればいい。

やってみないと何事も分からんのです。

 

 

 

僕は能動的な考え方をしている人の方が、主体的に楽しめと思います。

 

言葉遣いは汚いですが、胸に刻んでいたい言葉ですね。

 

名言って日によって感じ方変わるよね

僕は名言集を読むのが好きです。

 

ニーチェの言葉とか、

 

超訳 ニーチェの言葉

超訳 ニーチェの言葉

 

 

覚悟の磨き方とか。

 

覚悟の磨き方 超訳 吉田松陰 (Sanctuary books)

覚悟の磨き方 超訳 吉田松陰 (Sanctuary books)

 

 

 

こういう本って本当にエネルギーに溢れているんですが、そこから何を感じるのか、

って、コロコロ変わるんですよね。

 

昨日はなんとも思わなかった言葉が、今日はすごく胸に迫る言葉になった。みたいな。

 

なんで変わるのかって言うと、それは昨日と今日で考えていること、体験したことが変わるから。

 

何かを考えている、体験している時に、その状況にピッタリの名言があると胸に迫るんです。

 

例えば、「自分の考えに沿っていきていくか、それとも周りに合わせていきていくか。」という、哲学チックな問題に悩んでいる時に、

 

「自分の足で進め」  

既に誰かが確立した道を辿るな。

誰か先達の流儀、誰かリーダーの導きのままに自分を合わせていくな。

自分の道を行け。

ただ茫然とした中に自分の道を広く築け。

そして、自分を自分自身が導いて、堂々と進むがいい

                 

                        「ニーチェの言葉Ⅱ」より

 

みたいな名言を見ると、すごくエネルギーを貰えます。

 

 

 

逆に、上記のことを悩んでいない時には、上の名言はそれほど響きません。

「いい言葉だと思う。」で終わりです。

 

 

名言って深いがゆえに、そのことについてしっかりと考えてないと、響かないんですよね。

 その反面、しっかり考えていると、大きなエネルギーを貰えます。

 

 

何かに悩んでいる時には、自分に合った名言を読むことをお勧めします。

 

 

批判されることに誇りを持て

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ほとんどの人は批判を恐れると思います。

それは当然です。

自分のやってる事を否定されていい気分になれるはずもありません。

 

僕だって、僕への批判は聞いていて気分が悪くなります。

 

しかし、批判されたからと言って、やってる事を止めようとは思いません。

 

なぜなら、「批判をされる」ということは、自分が主体的に生きていることの証明だからです。

自分で考え、それに基づいて行動する。

この主体性には、他人からの批判が付きまといます。

それは仕方が無いことです。

むしろ、批判されるということは、自分が主体性を持っていることを裏付けているのです。

 

そう考えると、批判されることに誇りがもてませんか?

 

外野にギャーギャー言われる人ほど、自分の人生を歩いている。

外野でやじを飛ばしている人は、やじを飛ばしている間、他人の人生を見ているだけです。

自分の人生を歩いていない。

 

そう思うと、批判されるのも、存外悪いことばかりではないのかな、と思います。

 

最後に、僕の好きな名言を2つ残したいと思います。

 

 

 

批判家が何を言おうと気にしないことだ。今まで批判家の銅像が建てられたことがあったかね。

                                              _シベリウス

 

批判されない方法は一つだけある。

何も言わず、何もなさず、何者にもならないことだ。

                                              _アリストテレス

 

 

 

 

ありがとうございました。